「生命を『名詞』ではなく『動詞』として捉える」――
この言葉はジャン=ポール・へップナー氏の著書『Life as a Verb』の核心を成す哲学です。この視点に立ったとき、私たちの身体の見え方、そして痛みや不調に対する解釈は根底から覆されます。
著者との出会い
著者と初めてお目にかかったのは、2018年、カナダ・モントリオールで開催されたカンファレンスの場でした。会場の外で通訳を介し、わずかな時間ではありましたが、オステオパシーの概念や理論について直接お話を伺う機会がありました。決して長い対話ではありませんでしたが、その限られた時間の中でも揺るぎない信念がはっきりと伝わってきました。そして何より、真っ直ぐに探究を続けるその人間性に深く心を動かされたことを、いまも鮮明に覚えています。
その後、コロナ禍がようやく落ち着きを見せ始めた頃、私が所属するグループの主催により、2022年から2023年にかけてオンラインで解剖学と個体発生論を学ぶ機会をいただきました。講義は6時間×5日間を1クールとし、それを3回重ねるという非常に濃密な構成で、単なる知識の習得ではなく、身体の成り立ちを根本から問い直す時間となりました。
個体発生論とは、いわゆる発生学・胎生学と呼ばれる分野であり、受胎から誕生までの過程で身体内部にどのような変化が起こるのかを探究する学問です。
私は物事を理解するのに時間を要するタイプのため講義内容をすぐに咀嚼できませんでした。むしろ長い間、全体像は霧の中にあるような感覚でした。その後、講義の内容を見返し、講師の著書を読み返し、断片を何度もつなぎ直していく中で最近になってようやく輪郭がぼんやりと浮かび上がってきました。
発生という視点に立つと身体は“完成した構造物”ではなく、“常に形成され続けている存在”であることが見えてきます。この理解は生命を固定された名詞ではなく、進行中の出来事として捉えるという視点へと必然的に接続します。
生命を動的に捉えるということ
1. 生命は「静止した状態」ではない
私たちは通常、生命を維持されている「物体(名詞)」のように考えがちです。しかし、本書によれば、生命とは環境と形態との絶え間ない相互作用そのものであり、「振る舞い」という現在進行形の動詞として定義されます。
生命の最も基本的な振る舞いは「代謝」です。これは単なる化学反応ではなく、刻一刻と変化する外部環境からの負荷に対し、自らの形態を維持しようとする「動的平衡」への必死の試みなのです。
2. 症状は「 Outside-Inside 」の応答
痛みや病気を単なる「故障」や「静止した異常状態」と見なすのは生命を名詞として捉える旧来の視点です。へップナー氏は形態の変化は常に外部環境からの圧力に対する応答であるという「Outside-Inside(外から内へ)」の原則を強調します。
症状とは環境から与えられた負荷が現在の身体構造が耐えうる限界を超えそうになったとき、あるいは超えたときに、身体が新しい均衡点を見つけようとして生じる「動的なプロセス」に他なりません。つまり、痛みを始めとした不調もまた、その時の環境条件下で身体が取ることのできる「最善の適応反応」という名の動詞なのです。
3. 発生学が教える「常に形成され続ける」身体
個体発生論を学ぶことは身体を「完成した構造物」として見るのではなく、「発生の歴史が刻まれた生きた絵画」として見る感性を養うことでした。
へップナー氏の教えによれば、現在の私たちの形態は「過去の変容の結果」であると同時に「未来への変容の可能性」を秘めた未完の存在です。受精卵から始まる爆発的な上昇(アセンサス)や内臓の下降(ディセンサス)といったダイナミックな成長の軌跡は大人になった今の身体の中にも「方向性」や「質感」として息づいています。
4. 動的平衡を“指標”とするということ
生命を動詞として捉えるならば、観察すべきものは形態の異常そのものではなく、その形態がいかに環境と相互作用し、いかなる運動の質を保っているのかという点にあります。動的平衡とは静止した安定状態を指すのではなく、絶え間ない変化の中で均衡が再構築され続ける過程を意味しており、そこでは崩れと回復、緊張と緩和が連続的に織り込まれています。
したがって、痛みなどの不調の出現を単純な機能不全として理解するのではなく、現在の身体構造が新たな均衡点を模索している動的な局面として捉えることが可能になります。重要なのは、どの組織が損傷しているかという静的な問いだけではなく、身体全体がどのような方向性をもって再編成を試みているのかを読み取ることにあります。
5. 臨床における立ち位置
当院が動的平衡を指標とするのは身体を完成された機械ではなく、今もなお変化し続けている存在として捉えているからです。現在の身体の形は、これまでの適応の積み重ねでできており、同時にこれからも変わっていく余地を持っています。そのため、施術の目的は形を外側から矯正することではなく、過度に固定化された適応様式を緩め、身体が本来持つ再調整の余地を回復させることにあります。
長いあいだ、より良い臨床を求めて試行錯誤を重ねてきました。
技術を磨き、理論を学び、理解を深めるほどに、それでもなお何かが定まりきらない感覚がありました。
生命を「名詞」ではなく「動詞」として捉える視点、そして発生という時間軸に触れたとき、ようやく自分が腰を据えて探求していく場所が見えてきたように思います。
身体は壊れた部品の集合ではなく、いまこの瞬間も環境に応じて変化し続けている存在です。
痛みもまた、その流れの中で起きている一つの応答にすぎません。
だからこそ私は、「どこが悪いのか」だけを見るのではなく、「いま身体がどのようにバランスを取ろうとしているのか」に目を向けます。
そこには必ず、その人なりの理由と過程があります。